マレーシアでソフテニな日常

~大学でソフトテニス部に所属する体育会系なけんてぃがお届けするマレーシアのHappy Campus Life~

練習して上手くなるということ。

けんてぃです。

 

コロナで町から人が帰る前、たくさんの人が往来していた最寄駅には、毎日とはいかなくても、わりと高い頻度でストリートミュージシャンがライブをしていました。イヤホンで聴く音楽とはまた違う、それぞれの個性を歌う人たちがとても輝かしく見えます。その光景は密集したサラリーマンの乾いた靴の音や車の排気音に濁された風景とは違い、まるで街中に絵具を塗りたくるようで、その色使いも模様も多種多様で、そういうものを考えもなく眺めるのは結構好きなんです。

 

もちろん歌手にも上手い下手があります。僕が聞いた中ですごいなと思った人がいます。その人について、私はその技術に感嘆したわけではありませんでした(もちろん技術もすごいんだろうけど)。とにかくその方は熱気がすごかった。その熱気に私自身も熱くなりました。その方の声は街を明るく塗りたくり、ついでに私や観衆のことでさえその色に染め上げてしまったようです。その人は一回しか聞いたことがありませんでしたが、もう一度聞いてみたい声です。

 

他にもたくさんストリートミュージシャンはいたのですが、その人たちに関しては、確かに上手いしいい絵を描くのですが、人混みに揉み消されている気がしました。途中で邪魔されなければ相当上手い絵ができるんでしょうが、私たちが目にするのは原画までのようです。実際に私が先ほど上げたすごい方はたくさんの人に囲まれていましたが、それっきりそのような風景は見たことがありません。

 

正直にいうと(あくまで自分の感想ですが)、完成までたどり着けない人は、歌のうまさに拘っているようでした。しかし、いくら上手いからといってそこから私は何か感じ取れるといったらそういうわけではありませんでした。

 

技術は、優先して身につけるべきことなのでしょうか。それがあれば、なんでもできるのでしょうか。仕事においては遠慮なく頷けると思いますが、芸術やスポーツにおいては違う気がします。

 

ソフトテニス に置き換えてみます。例えば、同じ技術を持っている2人がいるとします。一方は勝ちたくてしょうがない。もう一方は勝ち負けなんてどうでもいい。この2人が試合をしたらどうでしょう。前者の方が勝つような気がします。それをなぜかと聞かれると明確な答えはできません。ですが、実際に試合をしていると、やる気のない方からすれば、勝てる気がしなくなってくるものです。

 

今度は技術はないけど勝つ気しかない人と、技術があってやる気ない人はどうでしょう。それは流石に技術が勝つでしょうが、一年後はわからないと思います。勝ちたいんですから。そりゃ練習しますよね。

 

技術は求めるべきものなのでしょうか。

 

私は違うと思います。

 

その人が抱く気迫というか、熱の方が重要な気がします。不思議なものですが、人間は見えるものよりも見えないもののほうに強く影響されることが多い気がします。たしかに何かしらの形として残るものは強ければ強いほど安心です。ですが、それはそれ自身を使う自分自身に依存するのではないでしょうか。

 

熱量を持って取り組めば、必要なものは勝手についてきます。練習が嫌なのであれば、それはちょっと考え直す時間があるかもしれません。どれだけ数多くの練習したとしても、自ら上手くなりたい、勝ちたいという気持ちを持って練習に取り組む人には敵いません。

 

もしそれで大成できなくとも、その熱量を持つ人が他の分野で成功できないわけがありません。

 

結局、人間は見えないものを信じなくても、見えないものに操られているのです。それを受け入れて、前に進んでいきたいですね。